HAPPY TO YOU💕育児と自分磨きの日々

ロンドンで7歳と2歳の育児中のワーキングママの日記です。ずっと抱えてきた心の傷を治すべく格闘した日々の振り返りと日々の育児と日々の記録を書いています。

心が満たされる瞬間④

運命の本と出会って解決の糸口を掴んだように見えた私でした。

少しして当時3歳でロンドンの現地の保育園に週5日朝8時から夕方5時半まで通っていた娘の日本語レベルが急激に下がり始めました。平日はほぼ英語のみ週末だけ日本語環境とは言え外に出れば英語を耳にするので断然英語に触れる時間が長かった娘。

「セナちゃん。食べたい、パスタ」

とか英語の文法順に日本語の単語を並べてみたりしてました。

発音も外国人が話す日本語。訛ってきてました。

これではいかんと思いイギリスの初等教育が始まる前に日本の幼稚園に通わせようと準備を始め娘とともに実家に10ヶ月帰国しました。


実家で両親は本当によくしてくれました。孫にあたる娘を溺愛していた(今もです)し娘である私の事を助けようと一生懸命に頑張ってくれました。


当然の事ですが両親とうまく関係が築けていなかった(学べなかった)私は娘ともうまく関係を築けていませんでした。そんな家族の中に10ヶ月身を置く事になった私。家にずっといることもできず帰国後すぐに派遣会社から仕事をもらって毎日仕事に行く日々を送り始めました。

ロンドンでの生活と比べれば子供の送り迎えも家事もなく仕事だけしてればいいので断然楽なはずなのに心は疲れ切ってました。家でも落ち着けなかったからかな。

本当の意味で自立できていなかった私は両親が私や娘の世話をしてくれるのが当然と思っていたのだと思います。愚かな考えの私は両親の行為に感謝もしてませんでした。

両親は娘と私の世話を全般に引き受けてくれていましたが、彼らの私への言葉による虐待を続けていました。兄と比べられなくなったものの近所の同級生やら娘やら…対象は誰でもよく、ただ私を貶すことが彼らの愛情表現だったのかもしれません。

言われ続けて私の感情が爆発して両親と口も聞かなくなりました(ガキすぎる行動ですが当時は精一杯でした)。娘の前でも険悪モードだった私を見かねて母から「私が何か悪いことしたか言ったりした?」と話しかけてきました。最初はツンツンしてた私も途中で抑えられず、生涯にわたり比較して批判され続けて自分のことが大嫌いなこと。こんな歳になってまで批判され続けることが不愉快なこと、自分なりに一生懸命傷ついた心を癒そうと頑張ってるのに定期的にかけてくる彼らの言葉で全てのバランスが崩れてる事なんかも伝えました。

母は母自身が原因で私が苦しんでいることに始めて気づいたようでした。母はこの後に言葉を選び気をつけているようでしたが、自分1人を責めていたので大きな問題を抱えている父とその息子の兄と話すことはなかったようで彼らはこの後も私を揺さぶってきます。

嫁いだのに自由気ままにワガママに実家で暮らしていたアダルトチルドレンな私を見て兄が私に激怒してきました。嫁いだ身の私が実家に長期滞在して自由気ままにしてることが気に食わなかったのかな。理由ははっきりとは言われなかったので今もわかりません。兄とはそれっきり今も顔を見ても話をすることもありません。両親も2人だけの子供が険悪の仲である事に今も心を傷めてるようです。私も娘と息子が険悪の仲だったらショックだし。


長年、私は母だけが私を傷つけていると思っていました。娘のための帰国をしていた当時も。

母は私に「あんたはアホやから」と直接言い、彼女の友人の前で「この子アホやから」と良く言いました。母の友人は「そういうこと言ったらあかんよ」って母に忠告してましたが当時の母は「慣れてるから大丈夫やんな?」と肯定しか答えがない質問を私に投げかけてきました。あの時感じた絶望感は30年近く経った今でも忘れません。

専業主婦だった母とは必然的に接する時間が長かった。だから勘違いしてた諸悪の根源。本当の黒幕は父親だったと言うこと。

今ならわかります。父も母も一生懸命私を育ててくれたのだと。ただ彼らは子供の心を甘く見てた。彼ら自身も心が満たされないまま振り返って自分を癒してあげられないまま親になり自分たちと同じような心の傷を持った人間を育てあげてしまったのだと思います。

子育てって本当に難しい。正解がないから。

私に今できることは自分の元に生まれてきてくれた小さな天使2人を愛すること。そして言葉による虐待の世代間連鎖を断ち切ることだと思います。

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人間急には変われないから、小さなことから始めよう。

そんな風に出勤中の車内で思っています。