HAPPY TO YOU💕育児と自分磨きの日々

ロンドンで7歳と2歳の育児中のワーキングママの日記です。ずっと抱えてきた心の傷を治すべく格闘した日々の振り返りと日々の育児と日々の記録を書いています。

心が満たされる瞬間⑦

イラつきまくって子供に当たりまくり我に返った私。無意識に昔を振り返ってました。親との確執に悩み苦しみ緩和されるまでの道のりを書いてたのは去年。完結せずに放置。最後の記事はhttp://yukalondon.hatenablog.com/entry/2017/12/05/160216

それからは日々の事ばかりを書いてた。振り返るのが怖かったのかもしれないと自分では思っています。昔と比べると精神的に安定してることも多くなったし、苦しむ事も少なくなったものの完全に解放されるまでには至っていないと言うことかな。長年の苦しみが綺麗さっぱりなくなるなんて相当難しいこと。なので落胆せずに今と向き合う。

今の私の親に対する気持ちは親は親で必死だったんだろうというモノ。祖父母がいわゆる毒親だった。その長男として育った父は世代間連鎖で毒親になった。その父に従い子供を守ることなく自分の立場を死守した母。彼らは自分たちが負の連鎖の中にいるという事に気付かず今が最善だと信じて私と兄を育てた。それは今の私と一緒。兄を敬い私を貶す。全てに対して不器用だった私を貶すことは彼らの愛情の一貫だった。見返してやろうと思って心機一転頑張るモノだと彼らは思っていたようだ。確かにそういう人もいるだろう。ただ一番古い記憶からズッと親に負のレッテルを貼られ続けた子供が心機一転頑張るなんて超稀だと思う。一番の理解者であってほしい親が負のレッテルを貼ってるのだから自己肯定感は全くないに等しく自分を信じることなんてできないのだから。彼らは仲良し兄妹を育て上げたかった。兄妹で何から何まで比べ比較対象する。いつも優ってる兄は暮らしの中から私を馬鹿にするようになる。親がしてるのだから当然のこと。当時の私にも原因は多々あったものの幼い娘を帰国中に実家で寛ぐ私が気に入らなかった兄は私に対して最大級の苛立ちをぶつけてきた。それを境に兄妹は絶縁。常に兄の肩を持つ父。仲介に入ろうとして私に言った言葉は「◯◯(兄)の言い分も理解できる」。それが話し始めで私の心の声を聞こうとした。そんなんで私が何を話すと思ってるのか。

兄は実家で両親と同居中。私とは犬猿の仲。私が実家に帰る=絶縁中の兄は私と同じ屋根の下にいざるを得ない。それが苦痛なのだと。その結果、親から2週間以上の帰国するのであれば主人の実家に行ってくれと言われた。もー実家に帰ることはない、そう誓い話し合いをした。彼らが施した私への教育が原因で私は長年にわたり心の傷を抱えていると訴えた。その反応は「何回も何回も同じ事ばかり言って、自分の負を何度も責められて人はいい気がしないだろう」と父は言った。ただ彼らから私が期待するような返答はもらえなかったから私は訴え続けた。今となってはどんな返答を期待してたのかわからないけど、きっと私の気持ちに寄り添って欲しかったんだと思う。その後父は「謝って欲しいなら謝ってやる」と言って土下座して「すいません」と言った。「これで気がすむんやろ」と。そんな事を期待してるわけではない。また私の感情は乱れまくった。

この日友人に会う予定だった私。同じように親との確執を抱えてる友人で色々話したことのあった友人だったので事情を話した。聴いてた友人がボソッと父の事を「小ちゃっ」って言った。それで全てが吹っ切れたような感じになった。

自分の辛い気持ちを相手に受け入れてもらいたいと翻弄して苦しんできた私。だけど、自分の気持ちを受け入れてもらうためには、相手にその器がある事が前提。だけど私は相手の器の大きさを考慮せずいかに自分が苦しんだかだけを訴えてきた。自分が求めてる答えや反応なんて返ってくるはずがない。そう理解した日だった。

もー実家に帰ることはないと心に決めたモノの祖母の病状や娘の希望もあり昨年冬に2週間帰国。まだ1年もたってないけど、今も帰りたいとも思わない。それが今の気持ち。

「この人達に私の気持ちはわからない」そんな風に思ってきた子供時代。だけど根底に「親に自分の気持ちを理解してもらいたい」という欲求があった。それに気づくことなく、親を傷つけ続け自分も被害者ヅラして苦しんできた。

無駄な時間と苦しみだったのかもしれないけれど、私が今の状態に落ち着くまでに必要な時間であり苦しみだったんだとも思う。

結婚生活も育児も365日休みなく稼働中。いい時もあれば悪い時もある。親は絶対ではない。だから、子供に悪いことをしてしまった時は謝る。感謝すべきことは感謝する。それが最低限必要な親子のマナーだと信じてます。私も当時の両親と同じように今が最善だと信じて育児をしてる。それが間違ってると結果が出るのは何年もあるいは何十年も先。子供の話を聞く。それが一番大切なことだと思いつつ、難しい。偏った考えに固執せず柔軟に対応できるそんな親になりたい。完璧な親なんて世の中にいない。ダメなところの多い私だけど、きっと良いところもあるはず。そう信じて毎日適度に頑張っていこう。